2006年の昨年。テストが終わってから  | TSUTSURUIT 2  realize your dreams

2006年の昨年。テストが終わってから 

怒涛の様な就職活動に突入していた僕であるが

負けた数は人知れず

毎回毎回

惨敗の連続であった。


人間不思議なモノで負けつづけると

負け癖がついてしまう。

けれど、負けるが勝ちとはよく

言ったもので、世の中勝てばいいという

ものではなく、

いかにしてその痛い時期を楽しく過ごすかと

いう一点のみを考えていた。


あんまりごめんなさいメールや封書で

この度はというくだりの封書が来るものなので

それを大事にファイリングしていた時期も

あった。


あれから一年以上。


今度は入社かよ!?と

自分自身に突っ込みを入れたくなる。


3勝97敗も一重に出来たものではなく

とてつもなく毎日セミナーやESを書いていたと思う。


渾身の気持ちで書いたラブレター(ここではESと読む)

も無残に桜と共に散っていったのである。


寮の先輩や大学のサークルの先輩などが

華々しく就職を決め(しかも複数!)

桜の咲くころには内定が一杯取れるものと信じていた

(正確に言うと信じたかったのである)

が、完全に甘かった。



就職バブル。




それは完全に幻であった。


幻と言うか就職サイトが仕掛けた罠であるとさえ

思った。



景気は回復していないし

景気が回復した気も当時はなかった。(今もだが)



コネなし、金なし、内定なし。

おまけに単位なし。本当になんにもないのだ。


ただあるのは自信過剰なくらいの鼻息と

無造作に送られてくるリクルーティングメール

ぐらいである。



完全に路頭に迷っていた3月、4月、5月。

一筋の光明さえ見えないまま

汗だくで走っていたのである。



内定というものが、

話術やテクニックを付けたものから

受かっていくんだよ。


そう、地方新聞社に内定した寮の先輩は

豪語していた。


その先輩もW大学を卒業して

いってしまったため

すがる人もおらず


そこからまた突っ走らないといけない

時期になった。


OB訪問を繰り返し

想像以上に苦戦していた。


3月28日の選考状況。
某U線 最終面接
人材コンサルティング会社5次
ベンチャー企業 2次
人材コンサルティング3次
生命リク2次
煙草メーカー3次
S国銀行 人事面談
新聞系広告 ES通過
N證券  ES通過
M不動産 ES通過


4月6日の選考状況


大阪系広告⇒通過⇒次面接
新聞系広告⇒通過 面接
M物産⇒筆記でやられる
商社S日⇒同じく
人材⇒6次面接通過
外資コンサルA⇒ES通過⇒WEB
R⇒今度筆記試験
外資広告B⇒結果待ち
外資広告I⇒書類通過待ち
鉄道系広告⇒書類通過待ち
レコード会社S⇒これから
外資コンサルB⇒筆記
印刷会社T⇒書類待ち
衛星放送会社⇒これから
S生命⇒2次リクルーター×
T京海上⇒途中で辞める
M紅⇒これから
制作会社A⇒セミナー参加
制作会社T⇒ES連絡待ち
不動産系広告⇒ES待ち
出版系広告⇒ES待ち


今見ても、タイトに詰めていたなと思うし

わざわざ大阪まで最終面接を受けに行って

『この度は弊社までお越しいただき~まことに残念で』

このくだりの文にパソコンの前でうなだれた事を覚えている。


簡単に内定を取れなかったから見えてきたものもある。

負け組みの気持ち(冴えないと世間で言われている人の気持ち)

や冷遇されている人の気持ち等も痛いほど分かった。


簡単にノリなんかじゃいくもんじゃないし

たとえのノリで受かったとしても

ハッピーじゃなかったと思う。


発展途上の僕であるが

これからも負け組みの気持ちを大事にしていきたいと

改めて思う。



負け組み万歳!!



レミオロメンの粉雪が冬の就職活動には染みたなぁ。

http://www.youtube.com/watch?v=rH1X2B64bZE&mode=related&search =